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2013年12月18日水曜日

苗床の整備と土嚢




自分が初めて土嚢を作ったのは15歳、忘れもしない古墳の発掘調査の時。5歳のときから、考古学が好き。土器が好き。発掘が好き。大学の先生に無理言って、発掘に参加していた。
今までほんとうに紆余曲折の生き方だったけど、自分がやりたいことは自分が一番分かっているのかもしれない。物心つき始めると、「自分のやりたい事が分からない」と、良く言うけど、ほんとうは小さいときから知っているのだと思う。それが成長するにつれて様々なことを学び得て、ほんとうにやりたいことが学び得たものによって隠され、だんだん見えなくなっていくのだと思う。ちょうど、蚕が、白い糸に包まれていくかのように。
「三つ子の魂百まで」ってこういうことを言うのかな。小さい頃の興味は、大人になってもずっとずっと続く。
「農」にたどり着くまで、ほんとうに回り道ばかりしてきたし、そのときは、気づかなかった点がやっと線としてつながってきた。今ここで、法人を通して、農業に関われる機会に恵まれたのも、点が線としてつながったからだと思う。


福島で発掘していたときの夕日もこんなだった。
沈む太陽を見ながら一日の仕事を終え、今日一日天気に恵まれた事に感謝し、皆で相乗りして銭湯に行く...夜は大皿を囲んで酒盛り大会。飯場さながらの生活。苦しいときは皆一緒。週の終わりには、意気揚々として仙台に帰る。そんな生活が好きだった。

高橋一樹の根本にあるのは、このあたりなのかな。